執筆記

ウィキペディア利用者:逃亡者です。基本的にウィキペディア執筆に関しての日記です。そのうち気まぐれで関係ないことも書くかもしれません。

過去記事の思い出

10月24日(水)~26日(金)。職場の上司から体調を心配されるほどの多忙ぶりでした。
先日、仕事相手の1人が入院と書きましたが、加えて25日(木)より、仕事相手のもう1人・T氏が予告無く週末まで連休を取得。どうなることかと思いましたが、T氏より仕事を引き継いだというO氏が物凄く仕事の出来る人物であり、むしろT氏不在の方が遥かに捗りました。皮肉なものです。

もちろん執筆は進捗ゼロでしたので、過去の記事の話でも持ち出してみます。

2年前、2016年(平成28年)5月半ば。北海道の函館市中央図書館の初代館長「岡田健蔵」の良質な記事の選考が無事に終了しました。これは僕の書いた記事の中でも2番目(たぶん)に長いものです。それだけに選考は苦労し、他の皆様からご指摘をいただくたび、再確認には本当に苦労しました。
終了後、長い記事を完成させたせいか空虚感に見舞われ、そろそろネタ切れか、僕の執筆もここまでかな……と思っておりました。この頃、誰かに「絶賛ネタ切れ中です」と発言したことを記憶しております。

そんな折に誘われたのが、この催しです。
科学史学会2016「ラウンドテーブル:ウィキペディアと科学史――知識とコミュニケーションを考える」(2016年5月29日)

登壇は先日触れたS先生、執筆者仲間の1人であるK氏、やはり先日触れた「地方病」でおなじみS氏、執筆者仲間N氏。

ここで、S氏とN氏それぞれ「地方病」、日立鉱山関連記事の執筆について発表を聞き、お2方の執筆にかける情熱には、非常に心を打たれました。
聞いている内に、考え始めました。自分はここまで執筆に力を注いでいるだろうか。ネタ切れなんて言って良いのか? まだまだ出来ることがあるのではないだろうか? きっと何か、出来ることがある。出来る限りことはやってみよう。出来る限りやってみて、それで駄目なら……辞めよう。


折しも1年前、ある題材をもとに記事を書こうとし、うまく書けずに挫折したテキストが、愛用PCの中に保存しっぱなしでした。それを引っぱり出し、図書館に通い、国会図書館にも足を運び、新聞記事のマイクロフィルムの扱いに悪戦苦闘。
写真も欲しい、東京だけど、少し遠い……いや、S氏とN氏はもっと遠くまで取材のために足を運んでいる! たかが横浜から東京へ行くだけではないか。そのくらい努力しないで良い記事が書けるか? 電車を乗り継ぎ乗り継ぎ、現地に赴いて写真を撮影。動きのとれる週末に、梅雨時にも関らず雨でなかったことも幸いでした。

そして約1か月を経て書き上げた記事が、これです。

矢ガモ - Wikipedia

あっという間に新着記事としてメインページに掲載され、2016年7月度の月間記事賞を受賞。良質な記事の選考の結果、めでたく良質な記事としていただけました。賛成票をくだったS先生、ご自身がこの記事を書くきっかけになったなどと、きっと思っておられないことでしょう。

後にイベントで「『矢ガモ』を書いたのは逃亡者さんだったんですか!?」と言われたこともあり、そこそこ知られる記事になったようです。そして僕もこの執筆を通じて「まだまだ書くものがある」と実感し、こうして現在も執筆を続けるに至っています。


あのイベントに携わった皆さんがいなければ、今ここにいる僕は存在していなかったでしょう…… 皆さんご覧になってますか? (^_^)/