執筆記

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第2回 函館旅行

23日(土)から25日(月・祝)まで、郷里の小樽の家族に付き合い、函館旅行に行って参りました。流石に横浜から北海道の家族と合流は困難でしたので、22日(金)と26日(火)に有休をとり、22日に飛行機で羽田を発ち、26日には横浜へ帰還という慌ただしい日々でした。

 

23日午前中に兄一家(兄夫婦+甥)と合流し、兄の運転で函館へ(家族で運転可能なのは兄夫婦のみですが、兄嫁は運転が嫌いで、長距離運転は兄頼みでして、免許の無い僕はいつも密かに引け目を感じます)。温泉に浸かった後、24日に函館山立待岬などの名所を観光、再び温泉に浸かった後、帰路で道の駅などを楽しみ、帰って参りました。

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函館山展望台からの眺め。夜景が有名ですが、昨年は夜に登ったので、今年は昼に登りました。日中も街の景色が良く眺めることができる上、人が少ないのでのんびり観光できて良いのです。

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立待岬。こんな壮観な景色とは思いませんでした。

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函館朝市「朝市食堂二番館」での海鮮丼。千円台の海鮮丼の店が多い中、ここはなんと格安500円で海鮮丼が食べられます(流石にグレードは少々落ちますが僕的には充分)。一緒に食べたイカ刺しは、生きが良すぎてちょっと動いてました。動画がありますが、貼り付け方がわからず残念です。

 

……といった観光や食事は、実のところ僕にとっては建前であり、真の目的は立待岬にある佐藤在寛先生の墓碑と記念碑でした。立待岬へ向かう道中は墓地になっているのですが、「ここにお墓があれば『佐藤在寛』と書かれた立札があるはず」……と目を凝らしたものの、発見できず。岬に到着後、そこそこに見学を済ませた後、僕だけ徒歩で墓地へ戻ってもう一度捜したものの、やはり無し。

(うーん、広い墓地をくまなく捜し回ればあるのかなぁ? でもそんなに時間をかけると、みんなに悪いしなぁ)

男は諦めが肝心、と思って家族と共に車に乗り、帰路につきました。存じませんでしたが立待岬に出入りする道路は一方通行でして、車での帰りは、行きと別の道を走ります。何気なく窓の外を見ていると

「あったああぁぁ──っっ!!」

「佐藤在寛先生の墓」の立札! 僕と直接会った皆様はご存じでしょうが、普段は小さめの声でボソボソ喋りますもので、僕が突然大声を出したことに家族は非常に驚いておりました。兄が慌てて車を停め「いいから行って来い」の声に促され、車を飛び出して外に向かいました。

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とうとうここまで辿り着きました。この土の下に先生が眠っていらっしゃるのですね……

 

撮影を終えて、車に戻りました。その時の僕の様子は、家族らのこの言葉が表しているでしょう。

「お前がこんなに興奮している姿を初めて見た」

佐藤在寛先生の記事を書き上げたときは、石碑の画像が欲しいけれど、函館、立待岬かぁ…… いくら北海道で、小樽と地続きといっても、そうそう簡単に行けるもんじゃないなぁ」とハナから諦め気味でしたが、行こうと思えば行けることを確信しました。いつかは荒木初子氏の碑のある高知の沖の島へ、山本幡男氏の碑のある島根の西ノ島へも…… 行ける、でしょうか?

 

ちなみに旅行3日目の25日は、珍しく台風が函館を直撃し、激しい雨と風の中を必死に歩いたせいか、現在は鼻がぐずぐずいっております。来週末のイベントまでにしっかり治さなきゃと思い、今週末は図書館の梯子を控えて休養します(といいつつ、しっかり昨夜の内に本を借りたので自宅で読んで過ごします)。