執筆記

ウィキペディア利用者:逃亡者です。基本的にウィキペディア執筆に関しての日記です。そのうち気まぐれで関係ないことも書くかもしれません。

カボチャ陳情団

20日(土)に新規記事立項、21日(日)にイベント参加と、書かなければならないことが多いのですが、順を追って。まずは新規記事です。

カボチャ陳情団 - Wikipedia

2019年初の、北海道の人物記事、といいたいところが、人物「たち」です。

何の学も無い、特別な技術も無い、ただの人々…… そんな人たちが、郷土にかける想いだけで国を動かしたという熱い物語に心を打たれ、書かせていただきました。

いつものことながら、執筆時にはその人物の魂が自分に憑依するもので、資料集めのため、退社後に桜木町駅から神奈川県立図書館をめざし、仕事疲れの体に鞭を打ちつつ、きつい坂を登るときには、「この記事を書くため!」というより「北海道に鉄道を通すため! みんなに白いご飯を食べてもらうため!」と、執筆者と対象者の想いがごっちゃになっておりました。

気づけば翌日には早くもメインページの新着記事に掲載されておりました。僕は「人物記事はタイトルからして注目を引きにくい」と言ったことがありますが、「カボチャ陳情団」……あるいはお笑いグループか何かにも見え、注目をひいたのでしょうか。

 

FacebookTwitterで書きました通り、このカボチャ陳情団は、昨年3月の大阪ウィキペディアエディタソンでのGA記事「北の大火」と、少々縁があります。種明かしは、陳情団に資金提供をした人物── 当時の大阪のパンのブランド「マルキパン」の創業者にして、「東洋のパン王」として名を馳せた水谷政次郎氏です。

明治期、水谷氏は博覧会でパンの味を初めて知って感動、製パン業を始めます。しかしパン食が日本に定着しない時代、商売は難航。日々の食事は出来損ないや売れ残りのパンばかり、娘が生まれれば養女に出す他ない…… 「カボチャ陳情団」の大正期に財を成していた水谷氏は、当初はそんな低迷期が続いていたのです。

そんな水谷氏の一大転機となったのが、北の大火。この大火災で多くの人が焼け出され、消防士たちが消火のため奮闘します。この一大事に水谷氏は、店中のパンを持ち出し、私費を投じて大阪中を駆け回り、被災者や消防士たちの食料として、無料でパンを配りました。それでも足りないとわかるや、なんと自分の店中の金をかき集め、他の店のパンを買い集め、皆に配ったのです。

一段落ついた頃には、水谷氏の店にはパンも、新たに材料を買う金もありません。そんなとき夫人が「この金、使うて!」と紙幣を差し出しました。食うや食わずの生活の中でも、夫人はいざというときのために貯金をしていたのです。夫人のおかげで、水谷氏は再起して製パン業を再開できました。

「聞いたか? マルキパンの社長はんは、火事に遭った人たちのために、タダでパンを配ったそうやないか」

「おまけに他の店のパンまで自分の金で買い占めて、皆に配ったっちゅう話やぞ」

「それでやないで。社長はんが金が無くなっても、奥はんがヘソクリで助けたっちゅうんや! 山内一豊の妻やで!」

「これからは、パンを買うならマルキパンや!」

こうして水谷氏の名声が高まり、後に「東洋のパン王」の名で呼ばれるまでに大成した、というわけです。やがて水谷氏は、より良いパン作りのため、より良い小麦を求めて北海道の開拓地へ進出し、「カボチャ陳情団」へと関わることになるのです。

水谷氏のエピソードは「カボチャ陳情団」「北の大火」以外にも色々ありますが、それはまたいずれウィキペディア記事執筆時に……(書くのか?)