執筆記

ウィキペディア利用者:逃亡者です。基本的にウィキペディア執筆に関しての日記です。そのうち気まぐれで関係ないことも書くかもしれません。

「高橋瑞子」改訂、「小樽雪あかりの路」など

予定通り19日(金)の通院ついでに、図書館で借りていた本を返却。そして本日ようやく、高橋瑞子のひとまずの改訂を済ませました。

「高橋瑞子」の版間の差分 - Wikipedia

ノート:高橋瑞子 - Wikipedia

23日は祝日ですので、足を伸ばしてもう少し調査しようかと思ったのですが、

電車で内科病院へ(高血圧) → 徒歩で図書館へ行き本を返却 → さらに電車で別の図書館へ移動し返却 → 徒歩で睡眠外来へ → 薬局の待ち時間の間に徒歩で散髪へ → 薬局に戻って薬を受け取り電車で帰宅

と、さして強行軍というほどでもない行程にもかかわらず、なぜか急激に右足が痛み出し、恐らくは誰が見ても「足を痛めている人」という歩き方で、泣きそうになりながら帰宅しましたもので、無理は慎むこととします。運動不足でしょうか? この土日も、近所のコンビニでの買物すら難儀している始末です。

 

話は変わって、2月と言えば北海道では「さっぽろ雪まつり」が有名ですが、郷里の小樽にも「小樽雪あかりの路」というイベントがあります。今年はコロナ禍による雪まつり中止と同様、小樽の方も中止となりました。亡き父が製作に携わっていたこともあり、切ないものがあります(父が僕をイベント会場に連れて歩き『このへんは俺が作ったんだぞ』とか自慢してました。あまり上手くなかったけど……)。しかし、替わって現在の小樽では、様々な団体、果ては個人で「雪あかり」を灯す運動が広がり、「小樽への想いを忘れないようにしよう」「コロナなんて乗り越えよう」と呼び掛け合って、SNSで盛り上がっているようです。

twitter.com

ウィキペディア20周年(まだ経緯をまとめてないな)で触れた『収容所から来た遺書』の山本幡男氏にも通じますが、苦難の中でも楽しみを見つけようとする人間、なんだか逞しいなと感じます。きっと僕も現在、小樽在住でしたら、実家で雪あかりを灯したことでしょう…… 横浜在住の身ではそうはいきませんので、せめて現在できることとして、「小樽雪あかりの路」の記事を加筆しました。

「小樽雪あかりの路」の版間の差分 - Wikipedia

出典はネット閲覧可能な小樽ジャーナルに加えて、北海道新聞などの有料新聞記事検索です。新聞記事検索は、このイベント企画開始から現在までの記事数、料金にして約20万円! とてもそんなに使い込むわけにはいかず、イベント開始当時の経緯のみに済ませました。小樽在住でしたら北海道新聞なんて図書館で調査し放題だったのですけれど…… やはり地元の事物を地元から離れた身で調べるのは、いつもながら困難がつきまといます。

開催期間」節の来場者数の推移は、ただ数字を並べただけでは芸が無いと思い、せっかくですので年ごとの人数の増加・減少の理由などまとめてみました。こうして書くと、今さらですが2020年2月って、すでにコロナの影響が現れていたのですね。つい先日、Facebookの「過去の思い出」で表示されたのが、昨年2月の飲み会の模様であり、当時「そういえば世間で今コロナとか言ってるけど、出歩いて大丈夫なのかな?」と密かに思っていたことが思い出されます。まさか当時はこんな大規模になるとは思いませんでした…… 願わくば来年の今頃に「過去の思い出」の表示を見て「あの頃は大変だったけど、色々頑張ったから今こうして笑っていられるんだよなぁ」などと振り返ることができればと思います。