執筆記

ウィキペディア利用者:逃亡者です。基本的にウィキペディア執筆に関しての日記です。そのうち気まぐれで関係ないことも書くかもしれません。

Wikipediaブンガク オンライン「樋口一葉物語」

オンラインイベント「Wikipediaブンガク オンライン」は、盛況の内に昨日で終了しました。昨日Zoomイベントで「ふりかえり会」と称して参加者数名でお話し、自分の書いた記事について少し話しましたが、話したらないこともありましたので、ここで勝手にまた振り返ってみたいと思います。

 

樋口一葉物語 - Wikipedia

一葉の五千円紙幣の発行にあたって放映されたテレビドラマです。今回のテーマが「樋口一葉」ですので、何か書く題材はないかと考えており
・一葉は明治の作家だが、もともと明治時代は不得意である
・現代の文化と一葉を紐づけられないか?
・他の人が書かないようなところから攻めてみたい
ということで書いてみました。単にあらすじや出演者の名前の羅列のみならず、製作の経緯や反響などをある程度書くことができ、どうにか形にまとめることができたようです。

もともと「次回の題材は一葉」と春頃から伺っていましたもので、事前にネタを仕入れるため、夏頃に図書館へ行きました。テレビの情報を得るために放映当日の新聞の縮刷版のコピーをとったところ、縮刷版ってぶ厚くて重たいのですよね。手元が狂って床に落とし、しかも夏ですので、コピーしていたページが手汗で手にくっついてしまい、「ビリビリッ」と見事に破けてしまいました!

館員さんに「弁償します」と言ったら「この程度なら修繕できますので大丈夫です」と言われ、恐縮しつつ平謝りで退散しました。というわけで今回の出典に用いた新聞、某Y浜図書館で該当年月日のページが破けているのは僕のせいです。図書館皆様および図書館利用者皆様、本当に申しわけありません。以来、図書館で新聞の縮刷版を読むときはちょっとトラウマ気味です……

良質な記事 / お茶会 / オンラインイベント

童貞を殺す服」はおかげさまで、良質な記事の選考を通過しました。ご意見・ご賛成いただいた皆様、ありがとうございました。つくづく、思いつきで書いた程度の記事が良質と認めていただけるなど、思いもしませんでした。

Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/童貞を殺す服 20211011 - Wikipedia

良質な記事として認めていただけたからには、やはり体裁をきちんと整えたいとの思いが強くなり、画像がほしいところですね。裏では色々考えておりますが…… 案外、Twitterなどでこうしたイラストを投稿されている「絵師」と呼ばれる方々にお願いすれば、あっさり利用を認めていただけるのでは?とも思いますが、こんなとき人脈の無さが浮き彫りになります。

 

さて話題が飛んで、10月31日(日)、いつもお世話になっている執筆者仲間N氏ご夫妻、S氏2名(いつもお世話になっている氏でイニシャルSがたくさんいて紛らわしい、前にも書いたか)たちとご一緒に、お茶会へ行ってまいりました。S氏は諸事情でウィキブレイクされて以来、N氏と「もしSさんがこのままフェードアウトしたらウィキペディアにとって大損害ですよね」などと話していましたが、無事に復帰され、イベントにもいらっしゃるようになり、何よりでした。

お茶会でいただいた京銘菓、亥の子餅です。

f:id:tobosha111:20211103050358j:plain

同じく京銘菓、唐板(からいた)です。

f:id:tobosha111:20211103050450j:plain

亥の子餅は「亥の子餅」の記事に画像がありませんでしたので、画像を掲載する絶好の機会!と思い撮影しましたが、後で見たら見事にピンポケでした。ご一緒された皆様どなたか掲載おねがいしますです……

唐板はN氏曰く「特筆性あり」で、「逃亡者さん書きませんか」と…… うぅっ、このパターンで何度、題材をいただいたことでしょうか。もはや「餌を与えないでください」状態です。お菓子の記事ですか。書いたことあったかなぁ……

銘菓といえば思い出したのが、これですね。

花園だんご - Wikipedia

小ネタですが、郷里の小樽市の銘菓として書いたものです。画像はお盆の帰省中、墓参りのためもあって自分で買って撮影したのですが、記事中にもありますように餡の形が特徴とされているものの、お店で買って、バスに乗って実家に帰る最中、かなり餡が崩れてしまいました。本当はこんな団子です。

https://www.niikuraya.com/wp-content/uploads/2012/04/hanazonodango.jpg

撮影を再挑戦してみたいものですが、だんごは丸いから、運ぶ最中、どうしても包装の中でころがってしまいそうです。店にはこのきれいな形で陳列されていますので、案外お店で「僕がこの記事を書いたので、この陳列棚を撮らせてもらえませんか? いい宣伝になりますよ~」とでもいえば、喜んで撮らせていただけるかもしれませ……が、そんな度胸はもちろんありません。

思いっきり話が飛びましたが、唐板ですね。確かにネットで検索したら特筆性はありそうなので、記事が書けるか書けないかはともかく、早速図書館で予約を入れてしまいました。まぁ、やるだけやってみて、駄目だったら他の方々に押しつけ……もとい、ご協力を仰ぐとしましょう。

 

そして本日11月3日より、こちらのイベントが開催です。

プロジェクト:アウトリーチ/GLAM/Wikipediaブンガク/オンライン - Wikipedia

もとは神奈川近代文学館での「樋口一葉展」開催に合わせ、「Wikipediaブンガク」が開催されるはずが、それが中止となり、代替として行われるオンラインイベントです。

Wikipediaブンガク樋口一葉」開催とあらば、樋口一葉関連の記事を書くべきか、でも明治時代ってあんまり得意じゃないなぁ……と思っていたところへ、このイベントでは必ずしも一葉関連ばかりではなく、文学全般の記事が受け入れられるようでしたので、こちらを取り上げました。

妻に捧げた1778話 - Wikipedia

眉村卓先生が奥様のために書いた作品です。今日は11月3日、眉村先生の三回忌です。

www.sankei.com

f:id:tobosha111:20211103051212p:plain

亡くなられたのが11月3日午前4時1分だそうですので、記事も11月3日午前4時1分に投稿しました。僕は投稿日時に意味を持たせることがしばしばありますので、「そういうのをまとめて発表したたらおもしろいのでは?」といわれたことがありました。好き放題書けるブログこそ、格好の発表の場ですね。まぁその気になったら、そのうちまとめてみたいと思います。

 

最近の新記事

カレーショップ志み津」の良質な記事の選考が、あっという間に通過し、良質な記事に認定されました。ご賛成くださった皆様、ありがとうございました。それにしても早すぎ…… これまでに最速かもしれないです。

Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/カレーショップ志み津 20210910 - Wikipedia

 

さて現在また、最近書いた記事について、良質な記事の選考中です。

ja.wikipedia.org

Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/童貞を殺す服 20211011 - Wikipedia

もとはといえば、去年の今頃に思いついた題材ででした。

(×「ともらしく」→ ○「ともいうらしく」の誤記。2023.2.2)

札幌の藤女子学園創成期の校長・牧野キク氏の記事を大幅改訂した際に、関連書籍でキリスト教の修道服のことを「童貞服」と表記していたので、Google検索したところ、「童貞を殺す服」に行き当たったのでした。

ja.wikipedia.org

この記事の最大の難関は、画像でした。決して記事に画像が必須というわけではないと思うのですが、記事の性質上「これこれこういう形の服」と文章で書いたところで、わかりにくいと思い、こういう記事こそ画像での説明が必要ではないかと思ったのです。

ふと、なぜか思い立ったのが、

アホ毛 - Wikipedia

この記事で「あほ毛(第2義)1本だけのタイプ」として取り上げられてる画像を見ると

File:Chara01.png - Wikimedia Commons

キャラクターなんとか機」というソフトで作った画像である。そしてそのソフトで作った画像がパブリックドメインとして大量に投稿されている! なんだ、これで作ればよいのか。

Category:Girls in anime and manga - Wikimedia Commons

と思い、喜び勇んで作ったのですが、見事に「それはパブリックドメインではない」と突っ込まれ、自ら削除していただきました。

利用者‐会話:逃亡者 - Wikipedia

「アクシーズファム」なるブランドがこの服の代表とのことで、幸いにもウィキメディアコモンズに画像がありましたので、かろうじて掲載にいたりました。

commons.wikimedia.org

しかし記事の内容にもありますように、そもそもブームを起こしたのが「NO.S PROJECT」についてのTwitterだそうで、

こうした画像が載せられれば良いのですが、こんな画像はどうすれば撮れるものか、さっぱりわかりません。執筆者仲間N氏と夏頃に逢った際に、この記事を考えていることを打ち明けて、「絵心があればな~」と2人で言い合っていました。こういうときこそ自分で絵を描けるよう、絵心が欲しいものです。

 

そして投稿後、

Wikipedia:月間新記事賞/投票 - Wikipedia

あっという間に新着記事としてメインページに掲載され、10月の月間記事賞となりました。皆様、ご投票ありがとうございます。ありがたいのですが、単に思いつきで書いたこの記事、そんな良い記事でしょうか…… 新着記事で13票なんて、そうそう目にしません。

選考において、やはり画像について触れられています。この服が話題になったのが、先述のTwitter画像ですので、やはりあぁした画像があれば良いのでしょうね。実物を撮影できればよいのでしょうが、どうすれば撮影できるのか、さっぱりです。

フリー素材での画像を捜したところ、「きまぐれアフター」なるフリー素材サイトで似た画像を用意できるとわかりました。

f:id:tobosha111:20211017065849j:plain

こんな感じかなぁ…… 同サイトの利用規約を読む限り、こちらも選考でご助言いただいているように、著作権テンプレートを正しく使えば投稿して利用できるかと思いつつ、一度失敗したこともあり、慎重に検討中です。

 

一方で「童貞を殺すセーター」は、「女性の体形を強調した衣装を、グラビアアイドルが着て話題となった」からには、そのような画像の方が好ましいのでしょうね。実際にモデルさんが着用された画像となると、「~服」よりもハードルが高いです。モデルさんの撮影会、イベントなどで撮影可能かもしれないですが、「どうすれば撮影できるか?」「そうした場合の画像の著作権は? ウィキペディアで利用できるのか?」など、そういった知識は皆無です。

 

今朝時点でご賛成3票です。皆様、ありがとうございます。しかしめでたく「良質な記事」に選定していただいたとしても、やはり肝心の画像が欠けた状態は、画竜点睛を欠いていると感じます。ウィキペディアでは、自力で調達できない画像を、他の皆様にご協力いただく「画像提供依頼」がありますので、自力で無理に抱え込もうとせず、他の皆様にお願いするしかないでしょうか……

 

1年半以上ぶりの帰省

9月のシルバーウイーク。緊急事態宣言中ですが、プライベートでの所用もありましたもので、お盆休みの代わりに、郷里の北海道小樽市に帰省してまいりました。ウィキペディアにおいても帰省の機会を無駄にするわけがなく、色々と書き、手を入れました。

 

小樽市立潮見台小学校 - Wikipedia

母校の記事を新規に書きました。某所で「いじめられっ子だったので、良い思い出が無い」といったおぼえがあり、確かにその通りなのですが、通りかかったら良い天気での画像が撮れたので、結局は書きました。

特筆すべきはやはり、小林多喜二の母校であり、校内の郷土資料館に多喜二の資料があるということでしょう。資料館の画像が撮れるか? 事情を話せば、僕も卒業生のはしくれなので、画像を記事上に使用できるよう頼めないか? と考えましたが、さすがにこのご時世、関東から小樽を訪れた者が、学校のような公の場に立ち入ることは憚れ、やめました。

小樽図書館には参考文献があるのがわかっているのですが、残念ながら感染防止のため休館中でした。いずれ事態が落ち着いた後に帰省できたら改めて、図書館に入り浸って読みたいものです。

 

まりもっこり - Wikipedia

Facebookで話題にでていました。記事を読むと「小樽市の観光物産店」とあったので検索すると、市内に顔出し看板が! これは「屋外美術を被写体とする写真」として掲載可能ではないか! マリモといえば阿寒と思い込み、まさか小樽にあるとは思わなかった、何度か通りかかっていながら、なぜ気づかなかったのだろう…… ということで、撮ってきました。

現地では、通りかかった観光客たちが「あっ。これ、あれだよね」「撮ってみる? クスクス」と半笑い気味でした。一生懸命に撮っている僕も笑われたかもしれませんが、そんなことを気にしていたらウィキペディアの画像など調達できないので、気にしないことにします。

 

小樽市立山の手小学校 - Wikipedia

プライベートでの用事を足したら、すぐ近くがこの学校でした。市内に新設された学校ということで、以前から記事があることを知っており、画像が無いのが気がかりでしたので、ちょうど良い機会と思って撮り、画像を載せました。「まりもっこり」は、事前にGoogleマップで調べ、太陽が差す時間を見計らって行ったのですが、こちらはついでに撮っただけあり、見事に逆光なのが残念です。折しもクラスターが発生したそうで、ますます暗く見えてしまいます……

 

北海道中央バス - Wikipedia

市の主要交通機関です。市内の住吉神社に、毎年の元旦に初詣に行っており、今年の元旦に行けなかったのでお参りして来たのですが、ふと境内にある銅像を見て、「そういえばずっと見ていたけど、これ誰だろう?」と何となく写真を撮り、碑銘をもとにウィキペディアを検索してみたら、中央バスの元社長・松川嘉太郎氏だとわかり、画像を貼りました。これもいずれ、松川嘉太郎氏ご本人の記事を書くことになるのでしょうか。

 

小樽三角市場 - Wikipedia

観光地として人気の市場でありながら、今まで記事がありませんでした。この市場に海鮮丼を食べに行くことになり、ついでに写真を撮って記事にしよう! と目論んでいたら、諸事情で市場行きは中止。「でもせっかくだから記事は書くかなぁ、画像はどうしよう」と思っていたら、ウィキメディア・コモンズに大量に投稿されていたとわかり、さっそくネットの情報をもとに記事化。書籍に言及があるとわかり、川崎の図書館で予約、帰省を終えた後に川崎で読んでみたら、しょぼい記述しかなくて記事には役立たず、「これなら帰省中に投稿できたじゃん……」とぼやきながら投稿しました。

 

総じて小樽の記事は、新規立項はもちろん、加筆や画像など、まだまだまだまだ手を入れる必要があるなぁ、と感じています。いずれ僕が北海道、小樽に腰を落ち着け、地元の記事に力を入れなければならないのでしょうか。地元に転職できる仕事がうまくあれば……!

 

カレーショップ志み津

予定通り、最近書いた記事から紹介してみます。

 

カレーショップ志み津 - Wikipedia

AV男優・しみけん(清水健)氏が開業していたカレー店です。内容は…… 敢えてこちらには書きません(書けません)。記事内容をご覧ください。

2018年にまぼろし博覧会の記事執筆のための調査中、こちらのサイトにたどり着いたことが発端でした。

ima.goo.ne.jp

当時のフリーライター桜井えりすさんによる体当たり取材記事です(探偵ファイルでアイドル的存在だった氏、今や一児の母とは……)。こちらの取材で「カレーショップ志み津」の取材を読み、「知った以上は書かなければならないか」と思った次第です。

やはり記事を書くからには、現物の画像が必要か、食べに行かなければならないか……と思っていましたが、とっくに閉業済みと知り、心の底から「ほっ」としました。

以前、札幌出身の小説家である船山馨氏の奥様、船山春子氏のことを記事に書いたら

とのお声がありましたが、今回は45回どころか、「う」で始まるひらがな3文字のあの言葉が86回、伏字も含めると93回登場します。英語も含めると100回登場します(うぉー3桁だ)。

出典はネットニュース主体であり、紙面の出典がわずかなのが苦しいところです。出典の一つのFANZAニュース、AV女優(当時)の上原亜衣さんによる取材です。まさか自分の記事でAV男優やAV女優を取り上げるとは、思いもよりませんでした。

 

なお記事の中ほどで用いている円グラフは、エクセルと画像編集ソフトで自力で作ったものですが、削除依頼があがっています。

Commons:Deletion requests/File:Marketing research (Do you want to go to the poop curry shop).png - Wikimedia Commons

こちらのお店は開店翌日に保健所から指導が入ったそうですが、僕の場合は、画像投稿からわずか1時間後に削除依頼が入りました。これはこれで、話のネタにしています。削除理由が「ナンセンス」とのことでしたので、「これはナンセンスに見えるけれど、この店のマーケティングリサーチです」「そもそも『ナンセンス』は削除方針に合致しないと思います」と英語で伝えたつもりですが、学生時代に英語赤点の身、果たして伝わったでしょうか…… 依頼からもうすぐ1か月、ウィキペディアの削除依頼も遅いといわれますが、ウィキメディア・コモンズの削除依頼はもっと遅いのですね。

ちなみに、このカレーの材料に使われている「くさや」「ホンオフェ」などの記事で、臭い食べ物としてグラフ表示を見て、初めてウィキペディアでは棒グラフを自動で表示できると知りまして、それであれば円グラフも有ってもおかしくないと思い捜したら、やはりTemplate:Pie chartがありました。現在の画像が削除されたとしたら、代替としてこのグラフ機能でちょっと作ってみると

f:id:tobosha111:20210911213415p:plain

ん…… やっぱり円グラフの中に文字が入っていた方がインパクトがあるのですけれど、自動でそこまで作り込むのは難しそうですね。

 

記事投稿後の数日で、メインページで新着記事として紹介していただけました。ご投票くださった皆様、ありがとうございます。おかげでTwitterにも感想がぽつぽつ見受けられましたが、一番笑ったのがこれですね。

この手の記事を書いた身としては最高の誉め言葉です(本気)

 

先月分の月間新記事賞では選外でしたが、他薦により良質な記事の候補となり、選考開始から立て続けに賛成票が3票集まっています。候補に自動選出されなくても、読んでくださる方はちゃんといらっしゃるのですね。ありがとうございます。ありがたいのですが、こんな記事が良質な記事とは、ウィキペディア日本語版はいったいどこへ行ってしまうのでしょうか。

 

おひさしぶりです

おひさしぶりです。気まぐれでブログを放置していたので、果たしてどの程度の方々がご覧になっているのか、もはや読者など皆無かもしれませんが、ウィキペディアでの記事の予定がしばらく無くなったので、気まぐれで再開してみます。

逃亡者の投稿記録を見つつ、ブログをさぼっている間の動向を振り返ってみたいと思います。

 

4月

5月

  • 連休に帰省するつもりで飛行機を予約していたが、コロナ禍で今年も断念する。
  • 執筆者仲間K氏発案のもと、みどりの日にちなんで、みどりの記事、且つ郷里にまつわる記事として、小樽市立緑小学校下田喜久三を書く(実は内容的に全然ちなんでいないのだが)
  • 郷里を想っていたら、やはり北海道の人物記事を充実させたくなり、札幌駅弁の祖である比護与三吉を書く。

6月

  • 何かにつかれたかのように、北海道の人物として、三浦政治井上清井上和雄岩元悦郎を書きまくる。
  • 昨年秋に書いた高橋瑞子の資料を読み直していて新たに知った人物として、宇良田唯を書く。
  • 執筆者仲間N氏ご夫妻とS氏(しかし仲間にS氏が多いな)のお誘いで、白幡池公園へ遊びに行く。コロナ禍で滅入っていた気持ちが久々にリフレッシュできた。ついでに白幡池公園の記事に手を入れる。

7月

  • コロナワクチン接種、1回目。
  • 宇良田唯良質な記事の選考が無事に通過する。
  • 6月の白幡池公園の帰りに立ち寄った珈琲文明を書く。
  • 以前から書きたかった記事として、かつて読破した漫画、NKJKを書く。
  • オリンピックにちなんで、オリンピックで大活躍するはずができなかった悲運のアスリート、内藤晋を書く。

8月

  • コロナワクチン接種、2回目。副反応で高熱が出たが、1日で回復。
  • お盆休みに帰省するつもりが、またも断念する。お盆休みが暇になったので、春より書き溜めていたウチキパンを書く。
  • 珍しくご存命の人物として、webアクションで愛読している漫画家さん、永田カビを書く。
  • 6月の白幡池公園でN氏が買ってきてくれた弁当、鳥久を書く。
  • 2年前の秋より密かに考えていた題材、カレーショップ志み津を書き上げる。
  • 日本ナポリタン学会を書く。

9月

僕のようにウィキペディアに漬かって生活している人間は、投稿履歴で過去を振り返ることができて便利ですね(振り返りたくない黒歴史が見れるともいう)。

順を追って、3月以降にブログを放置した経緯などから詳述していこうかと思ったのですが、半年前のこと記憶などおぼろげですので、逆に最近のこととして、「童貞を殺す服」を書いていた経緯など書こう……と思いきや、「カレーショップ志み津」がまさかの良質な記事の選考にあがりましたので、ちょっとこちらから振り返ってみたいと思います。さて、次回更新はいつでしょうか。

「人間って、おもしろい」 人物伝 (5) 避難者たちを支えた陰の功労者・佐々木 五十美

2011年(平成23年)3月11日。

言うまでも無く東日本大震災では、甚大な被害が出ました。その一方では、多くの方々が活躍していました。その中の、知られざる功労者の男性がいらっしゃいます。

 

佐々木 五十美(ささき いそみ)さん、当時67歳。

 

元は料理人であり、仙台を代表するホテルに、40年近く勤務しました。ホテル最上階の高級レストランの調理長を務めるなど、老舗の味を守り続けました。2004年(平成16年)に定年退職しましたが、その後も嘱託社員として、料理人として働き続けました。面倒見が良い性格で、皆に慕われていました。

 

震災当日もホテルのレストランで、専門学校の卒業パーティーの準備をしていました。大地震で天井が落ち、食器も滅茶苦茶になり、人生の大半を過ごした職場を失いながらも、どうにか生き延びました。自家用車の中で2日間を過ごした後、3日後に家族と再会。互いの無事を涙ながらに喜び合い、ひとまずは空港に避難しました。

 

当時は災害時とはいえ、人々の食事があまりに乏しく、皆の笑顔が失われていました。そこで佐々木さんは、「俺が皆を元気にする食事を作ってやる!」と立ち上がりました。ろくな調理器具などあるはずのない場所でしたが、幸いにも県外に勤める息子さんが、ガスボンベを送ってくれるという協力もありました。

佐々木さんのおかげで、皆は久しぶりに、暖かな食事にありつきました。父を津波で喪ってすっかり元気を失った女の子が、佐々木さんの料理を食べて「美味しい」と初めて笑顔を見せたという逸話もあります。

 

約2週間後の3月24日、佐々木さんたちは、体育館に設けられた避難所に移りました。佐々木さんたちが自治体に働きかけたことで、調理場などの整った避難所を確保することができました。

避難所では、佐々木さんはもちろん料理人としての腕をいかし、皆の食事作りに活躍しました。調理場があるとはいえ、大人数の食事を作るには不十分、また食材も限られていました。食材の種類と量を見ながらメニューを考えて、恵まれた環境だったホテル時代とは違う工夫を凝らしつつ、炊事担当の主婦たちを指導しました。また食事のみならず、元ホテルの重鎮ならではのリーダーシップで、避難所の皆を的確に役割分担しました。

見回りの警察官が見回りに来たり、復興ボランティアの手伝いに来ると、「ここに来た人は皆が家族」「さぁ、どうぞ」と、遠慮する彼らを快く食事の場に加えました。

 

やがて「料理人がいる避難所」の噂を聞きつけ、佐々木さんたちの避難所には、次第に食材が集まるようになりました。東北への支援物資の中には食材もありましたが、避難所によっては調理場が不十分であったり、調理できる人材がいなかったりで、食材が余剰になることがあったのです。佐々木さんはありがたく受け取りました。

本場のインドのカレーが届けば、辛すぎるカレーを味を日本人向けに調えたり、牛乳工場で無駄になってしまった牛乳が届けば、煮沸して飲めるようにしたり、食材も皆の好意も、無駄にしないように心がけました。

 

企業や学校の再開に伴って、避難所から出勤、登校する人も現れ始めました。佐々木さんは皆の昼食のため、午前0時を回っても弁当の仕込みをする日が続きました。

やがて避難所の人々が仮設住宅に移り始めると、皆の食生活を気遣い、食材を持たせて送り出しました。避難所の皆が転居先に落ち着くまで、佐々木さんは避難所の食と生活を支え続けました。

 

そして避難所全員の移転先が決定し、佐々木さんも避難所を去りました。その後も食事を通じて皆をもっと笑顔にするために、NHKの料理番組などで活躍を続けています。

 

参考文献)

国広あづさ. “避難者においしいものを!”. 震災記録マンガをよんで投こうしよう!. 進研ゼミ. (※閉鎖済み)

3.11 東日本大震災 避難者の声 (PDF)」『広報いわぬま』819号、2011年6月、全国書誌番号 00084821

「避難住民の「食」支える 元ホテル仙台プラザ調理師・佐々木五十美さん」『河北新報河北新報社、2011年4月26日。