執筆記

ウィキペディア利用者:逃亡者です。基本的にウィキペディア執筆に関しての日記です。そのうち気まぐれで関係ないことも書くかもしれません。

今回の新記事「あるいとう」、阪神大震災の記憶を少し

 とTwitterにて呟きました通り、先日の記事「ストーリー311」に携わった少女漫画家のななじ眺氏が、阪神・淡路大震災をご自身の漫画作品で取り上げたと知って興味を持ち、先日新記事として書き上げました。新着記事として本日、メインページに掲載していただけました。ご投票くださった皆様、ありがとうございました。

あるいとう - Wikipedia

単行本は全11巻です。幸いにも今日は電子書籍というものがありますので、こちらで1日で全巻読破してしまいました。

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郷里の北海道の他は関東しか在住経験の無い僕ですが、阪神大震災は想い出があります。21歳で上京して数年後、広島出身で東京にいた女性と知り合い(女性と知り合ったといっても深い意味ではないです。彼氏いたし)、帰郷したその女性に招かれて広島を訪れ、その際に神戸の男性と知り合い、その縁で神戸には何度か足を運んだ経緯があり、神戸でも何人かの友人ができました。

震災当時である1995年1月17日は火曜日で平日でしたが、僕は前日から風邪をひいて仕事を休んでおり、何気なくテレビをつけたところ関西の惨状を知りました。神戸の友人たちが気になってパソコン通信にアクセスしたところ、ちょうど神戸の友人の1人とチャットで出会うことができ、彼を心配する仲間たちに「彼は無事」と伝えることができました。現在と違い、インターネットどころかパソコン通信もまだメジャーでない時代でしたので、平日日中に自分が自宅にいたこと、僕がアクセスした同タイミングでその友人がアクセスしていたこと、その偶然の重なりに感謝しました。

その年の夏に彼に招かれて、初めて神戸へ行きました(お邪魔じゃないのかな、と思ったけれど、先方より是非とのお招きで)。365日24時間いつも笑顔でいるようなその友人、震災の被害の場を説明し始めると顔が曇り出し、彼の笑顔でない顔を初めて見たことが、25年経った今でも記憶に残っています。こうした大きな災害は、人の心に消えにくい傷跡を残すものなのだな、と深く思ったものです。

この漫画の舞台となった神戸市北野町の東公園には、漫画連載を記念して植樹された「くこの木」があるそうです。

 この写真が欲しいところですが、越県御法度の現在です…… 広島の原爆にまつわる記事も過去に何本も書きましたもので、現在の騒動が終息した暁には、神戸や広島を含む西日本方面の一大取材旅行にでも繰り出したいものです。