人間魚雷「
森さんたちは、最後の帰省が許可されました。戦時下ではとても北海道まで行けず、東京で落ち合うよう、家族宛てに連絡をとりました。
東京で、母と兄が森さんを迎え、久しぶりに家族3人が出逢いました。
(森さん〈右〉とお母さん)
森さんは最後の親孝行のつもりで、給金を差し出しました。
「母さん。小遣いに持ってきたんだ。受け取ってよ」
「そんな。あなたが一生懸命稼いだお金なんて、受け取れないわよ。それより、お父さんからお小遣いを預かって来たの。何か、好きなことに使って」
母子共、お互いに受け取りを拒んでばかりでした。そこへ兄が助け舟を出し、2人分の金を合せて短刀を買い、お守りとして森さんに贈りました。
「ありがとう。大事にするよ」
(森さん〈右〉とお兄さん)
家族水入らずの時間に、次第に別れの時刻が迫ります。
「そうだわ。せっかく東京に来たんですもの。靖国神社へお参りに行きましょうよ」
「いや、いいよ。どうせ、すぐ帰って来るから」
靖国神社といえば、軍人や戦死者を祀る神社です。
(俺はじきに、あの神社に祀られる。今はできるだけ長く、母さんの姿を見ていたい……)
回天や特攻は軍の最高機密であり、他言無用として、家族相手にすら口を封じられていました。森さんは家族と過ごす最後の時まで、回天のことも特攻のことも話すことなく、心の中で密かに、母に永遠の別れを告げました。
(母さん、今まで俺を育ててくれて、ありがとう。今度は、俺が母さんを守る番だ!)
森さんは帰省から基地に帰ると、土産に、2つお揃いで買った木彫りの熊のキーホルダーの1つを、親友の三枝さんに贈りました。
「これを持っていてくれよ。俺たちの友情の証だ」
「大事にするよ。ありがとう」
(森さん〈左〉と三枝さん)
同1944年11月の回天の初出撃を経て、翌12月、ついに森さんたちの出撃が迫りました。
(出撃前日、神社での拝刀)
12月30日。森さんや三枝さんたちを乗せた潜水艦は、予科練の先陣を切って基地を発ちました。
三枝さんが、森さんに言いました。
「こんな時代じゃなかったら、もっと勉強していたかったな……」
森さんは無言のまま、いつものような天真爛漫な笑顔で応えるのみでした。
潜水艦は、南海方面へ向かっていました。森さんと三枝さんは、上官にこう話していました。
「自分たちは、日本では見られない、南国の夜空の星を知りません」
「南十字星を見るのが楽しみであります」
やがて回天での出撃が迫ったある日、森さんと三枝さんは、潜水艦の航海長に尋ねました。
「航海長、南十字星はどの星ですか?」
「うむ、教えてやろう、あの星だ」
航海長は森さんたちを艦橋に連れて行き、南海に輝く南十字星を指しました。森さんたちはそれをじっと見つめ、さらに北天に輝く北斗七星と北極星に視線を移し、それらをずっと眺めていました。
「南十字星を見る夢が叶いました。航海長、ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
森さんたちは航海長に何度も礼を言って、艦内に戻りました。
年が明けて、1945年(昭和20年)1月12日。
潜水艦はグァム島北西部の港を目指していました。目的は、この港での敵艦への特攻。森さんたちはすでに、回天へ乗り込んでいました。
艦長からの命令が下りました。
「発進、始め!」
艦長は通信の声に耳を澄ませましたが、森さんからの声はありません。
無言のまま、森さんの回天が発進しました。
森さんがその後、どうなったか── 正確な記録は残されていません。
軍にとって極秘事項であった回天や特攻が、森さんの家族宛てに伝えられたのは、それから約2か月後、同1945年3月でした。
1945年1月12日、森 稔さん、戦死。満18歳没。
終戦後の1968年(昭和43年)、大津島に回天記念館が開館しました。入口へ続く小道の両脇の石版には、回天による戦没者、計145名の名前が刻まれています。
森さんは出航の前夜、兄に宛てて遺書を書いていました。
この遺書の結びの短歌が、森さんが家族に宛てた最期の言葉となりました。
「大君の 御盾となりて 征かむ身の 心の内は 楽しくぞある」
参考文献)
三枝義浩 『語り継がれる戦争の記憶』1、講談社〈KCデラックス〉、1995年11月。ISBN 978-4-06-319638-2。
鳥巣建之助 『人間魚雷 特攻兵器「回天」と若人たち』、新潮社、1983年10月15日。ISBN 978-4-10-349101-9。
行方滋子「予科練訪問記 第五回 (PDF) 」 、『月刊豫科練』第428号、公益財団法人 海原会、2015年5月1日、 NCID AA12535565、2018年11月18日閲覧。
宮本雅史 (2007年6月6日). “誰がために散る もう一つの「特攻」(2) 死の宣告 孤独と恐怖…押し寄せ”. 産経新聞 大阪朝刊 (産業経済新聞社): p. 27
『ほっかいどう百年物語 北海道の歴史を刻んだ人々──。』第四集、2004年3月31日。ISBN 978-4-89115-123-2。