執筆記

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「人間って、おもしろい」 人物伝 (3) 戦火に散った若き命・森稔 (後編)

(前編より続く)

 

人間魚雷「回天(かいてん)」による出撃が下った、同1944年(昭和19年)12月。

森さんたちは、最後の帰省が許可されました。戦時下ではとても北海道まで行けず、東京で落ち合うよう、家族宛てに連絡をとりました。

 

東京で、母と兄が森さんを迎え、久しぶりに家族3人が出逢いました。

 

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(森さん〈右〉とお母さん)

 

森さんは最後の親孝行のつもりで、給金を差し出しました。

「母さん。小遣いに持ってきたんだ。受け取ってよ」

「そんな。あなたが一生懸命稼いだお金なんて、受け取れないわよ。それより、お父さんからお小遣いを預かって来たの。何か、好きなことに使って」

母子共、お互いに受け取りを拒んでばかりでした。そこへ兄が助け舟を出し、2人分の金を合せて短刀を買い、お守りとして森さんに贈りました。

「ありがとう。大事にするよ」

 

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(森さん〈右〉とお兄さん)

 

家族水入らずの時間に、次第に別れの時刻が迫ります。

「そうだわ。せっかく東京に来たんですもの。靖国神社へお参りに行きましょうよ」

「いや、いいよ。どうせ、すぐ帰って来るから」

靖国神社といえば、軍人や戦死者を祀る神社です。

(俺はじきに、あの神社に祀られる。今はできるだけ長く、母さんの姿を見ていたい……)

回天や特攻は軍の最高機密であり、他言無用として、家族相手にすら口を封じられていました。森さんは家族と過ごす最後の時まで、回天のことも特攻のことも話すことなく、心の中で密かに、母に永遠の別れを告げました。 

(母さん、今まで俺を育ててくれて、ありがとう。今度は、俺が母さんを守る番だ!)

 

森さんは帰省から基地に帰ると、土産に、2つお揃いで買った木彫りの熊のキーホルダーの1つを、親友の三枝さんに贈りました。

「これを持っていてくれよ。俺たちの友情の証だ」

「大事にするよ。ありがとう」

 

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(森さん〈左〉と三枝さん)


同1944年11月の回天の初出撃を経て、翌12月、ついに森さんたちの出撃が迫りました。

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(出撃前日、神社での拝刀)

 

12月30日。森さんや三枝さんたちを乗せた潜水艦は、予科練の先陣を切って基地を発ちました。

三枝さんが、森さんに言いました。

「こんな時代じゃなかったら、もっと勉強していたかったな……」

森さんは無言のまま、いつものような天真爛漫な笑顔で応えるのみでした。

 

潜水艦は、南海方面へ向かっていました。森さんと三枝さんは、上官にこう話していました。

「自分たちは、日本では見られない、南国の夜空の星を知りません」

南十字星を見るのが楽しみであります」

 

やがて回天での出撃が迫ったある日、森さんと三枝さんは、潜水艦の航海長に尋ねました。

「航海長、南十字星はどの星ですか?」

「うむ、教えてやろう、あの星だ」

航海長は森さんたちを艦橋に連れて行き、南海に輝く南十字星を指しました。森さんたちはそれをじっと見つめ、さらに北天に輝く北斗七星と北極星に視線を移し、それらをずっと眺めていました。

南十字星を見る夢が叶いました。航海長、ありがとうございました!」

「ありがとうございました!」

森さんたちは航海長に何度も礼を言って、艦内に戻りました。

 

年が明けて、1945年(昭和20年)1月12日。

潜水艦はグァム島北西部の港を目指していました。目的は、この港での敵艦への特攻。森さんたちはすでに、回天へ乗り込んでいました。

 

艦長からの命令が下りました。

「発進、始め!」

艦長は通信の声に耳を澄ませましたが、森さんからの声はありません。

無言のまま、森さんの回天が発進しました。

 

森さんがその後、どうなったか── 正確な記録は残されていません。

 

軍にとって極秘事項であった回天や特攻が、森さんの家族宛てに伝えられたのは、それから約2か月後、同1945年3月でした。

1945年1月12日、森 稔さん、戦死。満18歳没。 

 

終戦後の1968年(昭和43年)、大津島に回天記念館が開館しました。入口へ続く小道の両脇の石版には、回天による戦没者、計145名の名前が刻まれています。 

 

森さんは出航の前夜、兄に宛てて遺書を書いていました。

この遺書の結びの短歌が、森さんが家族に宛てた最期の言葉となりました。

 

「大君の 御盾となりて 征かむ身の 心の内は 楽しくぞある」

 

参考文献)

三枝義浩 『語り継がれる戦争の記憶』1、講談社〈KCデラックス〉、1995年11月。ISBN 978-4-06-319638-2。

鳥巣建之助 『人間魚雷 特攻兵器「回天」と若人たち』、新潮社、1983年10月15日。ISBN 978-4-10-349101-9。

行方滋子「予科練訪問記 第五回 (PDF) 」 、『月刊豫科練』第428号、公益財団法人 海原会、2015年5月1日、 NCID AA12535565、2018年11月18日閲覧。

宮本雅史 (2007年6月6日). “誰がために散る もう一つの「特攻」(2) 死の宣告 孤独と恐怖…押し寄せ”. 産経新聞 大阪朝刊 (産業経済新聞社): p. 27

ほっかいどう百年物語 北海道の歴史を刻んだ人々──。』第四集、2004年3月31日。ISBN 978-4-89115-123-2。