執筆記

ウィキペディア利用者:逃亡者です。基本的にウィキペディア執筆に関しての日記です。そのうち気まぐれで関係ないことも書くかもしれません。

埼玉 熊谷・行田紀行

27日(土)は、執筆者仲間N氏の全快祝いを兼ね、埼玉の熊谷市行田市を巡って参りました。氏が病気を患った際、励ましとして「治ったら全快祝いをしよう」と言ったものの、僕にそのようなプランをたてる力などあるわけがなく、昨年12月の静岡行きと同様、N氏にお任せとなりました。

参加者は静岡と同様、N氏ご夫妻にS女史、加えてN氏の奥様のご友人、両氏が2月の「ウィキペディアタウン in 秋葉原」で知り合ったという大学生2人です。例によって人見知りの僕は、初対面が3人いらっしゃるので緊張の中でスタート。その緊張感を打ち破るように、いきなり汽笛の音と立ち昇る煤煙でお迎えでした。熊谷駅は秩父鉄道蒸気機関車が通っているようです。写真が撮れず残念です。

 

今回もN氏の奥様運転によるレンタカーにより、まずは源宗寺で公開されている「平戸の大仏」の見学です。到着時は大勢のお客様が詰めかけており、大仏様がほんの少ししか見えず「せっかく来たのに見えないの……?」と思いましたが、暑さの中でひたすら待った後、間近で拝むことができました。「大仏」と聞いて奈良や鎌倉のような10メートル以上のものを連想しており、こちらは3メートルあまりだそうで、到着時は正直「思ったより大きくないんだな」と思いましたが、間近で拝むと流石に壮観です。

源宗寺 (熊谷市) - Wikipedia

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食べ物の屋台も出ており、細長い稲荷寿司が特徴の「聖天寿司」をいただきました。ウィキペディアには記事がありませんが、「歓喜院」の記事内に記述があります。

歓喜院 (熊谷市)#聖天寿司 - Wikipedia

 

お昼は行田名物「フライ」をいただきました。「フライ」というと揚げ物を連想しますが、行田でフライというとこれなのだそうです(ウィキペディアの受け売り)。

フライ (鉄板焼) - Wikipedia

この他に、ゼリーフライなるものもあるそうです。ご当地グルメは奥が深いです。

 

続くは行田市郷土博物館と忍城の見学です。行田は足袋作りで有名だそうで、博物館には旧式ミシンの展示があり、「実家も建て直す前、おばあちゃんが元気だったころは、こんな古いミシンがあったなぁ……」などと、行田とは縁もゆかりもないところで感傷に浸りました。

行田市郷土博物館 - Wikipedia

忍城 - Wikipedia

 

その後は十万石まんじゅう本店で土産を購入しました。昔ほど甘いものは食べませんもので、まんじゅうではなく、かき餅の類を購入、その一部は本日(28日)の酒のつまみとなりました。

十万石まんじゅう - Wikipedia

 

大学生お2人は夕刻に別のご予定があるようで、お2人と別れた後、最後は熊谷市妻沼の歓喜院を見学しました。ボランティアらしき方に彫刻をご説明していただきましたが、このような美しい彫刻を見ても、単に「きれいだなぁ~」くらいにしか感じなかったところが、彫刻一つ一つにちゃんと意味があるのが興味深かったです。説明中に、鳴き声と共に頭上を鳥が横切り、すかさず「この辺りはノスリ(タカ)の縄張りなのでハトがいない」と解説を繋げるところなど「さすが慣れてるなぁ」と、変なところで感心しました。

歓喜院 (熊谷市) - Wikipedia

 

締めくくりは「洒落にならないほど匂いがつく」との店で、七輪で焼き肉を食べた後、帰途につきました。熊谷市を電車で発った後、途中でS女史が降車、後に僕も乗継のためにN氏ご夫妻と別れ、帰宅しました。

 

今回も楽しい1日でした。札幌で就職した翌年に東京へ転勤し、埼玉の草加市に住んでおりましたもので、一応は一時期は埼玉県民だったのですが、草加以外はほとんど出歩いたことがありませんで、このような文化に出逢えて良かったです。

N氏、S女史共に、すでに新記事の執筆予定があるそうで、両氏の刺激を受けております。件の文学作品を執筆しておりましたが、進行状況は芳しくなく…… 不得意分野へ敢えて挑むことは自らの成長のために良いことと思いましたが、一向に進行しないのであれば、思い切って中断し、得意の人物記事に切替えることも、あるいは一つの手段かと思っております。