執筆記

ウィキペディア利用者:逃亡者です。基本的にウィキペディア執筆に関しての日記です。そのうち気まぐれで関係ないことも書くかもしれません。

伝説の土地へ!

北海道胆振東部地震から約3か月が経とうとし、あの地震のニュースが報じられることも、まばらになりました。

「そろそろ時効かな」と思い、自白しましょう。


Facebookでも触れました通り、あの地震の後、郷里の北海道小樽市の家族の無事な姿を見たいがため、9月の秋分の日の連休を絡めて休暇を取得し、5泊6日で郷里の北海道小樽市へ帰郷しておりました。


その間……

実は9月22日(土)~24日(月・祝)、2泊3日で函館へ行っておりました。


なぜ、そのことをFacebookでまったく触れないのか?

地震当日、9月6日(木)早朝。恥かしながら、地震発生を知ったのは出勤電車内。出社後に即、郷里の母に電話しました。しかし地震による停電中にも関らず母の携帯が充電不足とのことで、「みんな無事、大丈夫」とだけ確認後、仕事につきました。

僕はウィキペディア東日本大震災の記事もいくつか執筆しており、資料中、辛い避難生活のことも目にしました。もし家族があんな目に遭っていたら……と、仕事がとても手につかず、お恥ずかしい話、仕事中に涙をボロボロ流しておりました(※実は涙腺が緩いとよく言われます)。同僚の目も同情的で、上司に「そんな調子じゃ仕事にならないでしょう」「もう今日は帰りなさい」とか言われる始末です。

結局は、被害はずいぶん少なかったわけですが……

そして9月の連休に帰郷を決めたところ、家族は地震発生以前、8月頃より、9月末の連休に兄のマイカーで函館旅行を計画していたとのこと。当然、僕も旅行に同行することになりました。

ところが職場では、「彼は地震で大変な目に遭った家族のもとへ駆けつける」というイメージがすっかり定着してしまっています。おまけにFacebook友達の何人かは上司と同僚です(^^;とても「函館旅行へ行く」なんて、遊び気分のようなことは言えなかったのです……

そのような事情で、僕が9月22日~24日に函館にいたことは、ブログをご覧になっている皆様だけの内緒話にしていただけますと幸いです。

別に北海道へ函館旅行に“だけ”行ったわけではなく、Facebookに載せている「地震の影響で電車が遅延」「スーパーやコンビニは品不足」「がんばって、品物の揃っている遠くの店へ行った」といった話も、写真を載せている通り、紛れもない事実なのです(^^;


さて、家族皆で函館の道中。

兄の車でドライブ中、何となく窓から外を眺めていると、目に飛び込む文字がありました。

「函館盲唖院」

えっ? 嘘!?

あの佐藤在寛先生が院長を勤めた函館盲唖院(北海道函館聾学校の前身)が、ここに!?

函館だから、僕が書いた函館の偉人ゆかりの場所へ行けるかもと思ったけど、まさか本当に通りかかるなんて!

佐藤在寛 - Wikipedia

兄からは「どこか行きたい場所があるか?」と聞かれていましたが、自分で言うのも何ですが、消極的な性格の僕は家族に対してすら遠慮深く、「ウィキペディアのために函館盲唖院の場所へ行きたい」などと言い出せません。

元町公園旧函館区公会堂を見学して回った後、家族が「ちょっと休憩しよう」と言い出しました。

その場所から、先ほど「函館盲唖院」と見かけた場所まで、徒歩で5分もかかりません。

今を逃せば、次の機会はいつ訪れるかわかりません。思い切って言いました。

「ちょっと、あっちを見てきていい?」

確か、この角を曲がって、この道を降りて……

あった、看板!

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「この上120m 函館盲唖院跡地」

もはや、気持ちを抑えることなどできません。120mの上り坂を駆けました(※函館は坂が多いのです)。

もうすぐだ!

佐藤先生のあの場所が、もうすぐそこに!

そしてついに、ついに辿り着きました。

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「函館盲唖院跡地」

函館盲唖院は昭和中期に聾学校と盲学校に分かれ、それぞれ別々の地に移転したので、盲唖院のあった場所には「跡地」の看板が建っているのみで、建物自体は影も形もありません。

しかし、その場には確かに、佐藤先生のオーラが満ちています。かつてここで、子供たちのため、聴覚障害者のために佐藤先生が奮闘していたのです。

自分は今、確かにこの場所にいる。心臓の鼓動が増し、涙がこみ上げそうでした。

佐藤先生の偉業に比べ、自分の何とちっぽけなことか。いい歳をして独身、職場で未だに何のポストにも就かない、いつまで経っても低月給の非正規、底辺中の底辺会社員。

そんなへっぽこな自分が、畏れ多くも佐藤先生の記事を書き、こうして先生に逢いに参りました。

別に墓地でもないのに両手を合せ、写真撮影した後、家族のもとへ戻りました。

この後、30分ほど余韻に浸っており、家族と共にどこを回ったか、よく憶えていない始末です。

 

やはり僕は、自分を育んでくれた北海道の地、そしてこの地を築き上げた偉大な人々のことを、もっと書かなければなりません。

まだまだ大勢の偉人たちがいらっしゃるのです。

へっぽこな自分ですが、へっぽこなりに腕を振るいましょう。

数々の偉業を世に伝える、そのために!

 

最後に── 今回のタイトルは、以前触れた笠原弘子さんの楽曲『約束の土地へ』をもじりました(またアニメのパクリかよ……)