最初、さるSF映画のタイトルの洒落で「未知との遭遇」のタイトルで書き始めましたが、呼び捨てはあんまりと思い、変更しました。
修正前をご覧になった皆様、どうかお忘れください(^^;
【田中未知さんとお話をした】 - RaccoWikipedia’s blog
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こちらのブログの方が詳細に書かれており、僕も今まで少し書いておりましたが、改めて、ざっくりとまとめます。
10月8日(祝)、ウィキペディアのイベント「Wikipediaブンガク」が開催されました。詩人・歌人・劇作家である寺山修司氏の没後35年を記念した特別展「寺山修司展 ひとりぼっちのあなたに」を見ながら、皆で寺山氏に関するウィキペディアの記事を編集しよう、との企画です。
企画者は、こちらでも触れた司書さんのTGさん(T氏改め)。講師を勤められるはこちらのR氏。
この展示にて、僕は 田中未知さんという人物を、初めて知りました。
ご著書のプロフィールには作曲家とありますが、寺山氏の秘書でもあり、現在でも寺山氏の作品の発表のために活動なさっているとのこと。
寺山氏がお亡くなりになり30年以上、今なお寺山氏のことを伝え続ける田中さん。その田中さんを突き動かす想いとは、どんなものだろう?
そして、田中未知さんの記事を新規に執筆するに至りました。
イベント後、R氏が寺山氏についてTwitterで呟いたところ、田中未知さんご本人がそれをリツイート。田中さんもTwitterをなさっていたと判明し、R氏がTwitterで田中さんとやりとり。そこに僕も加わり、相互フォローとなったのは既述の通りです。
そして、ここからが事態の発展です。
田中さんはTwitterなどオンラインでの会話はあまり好まれないご様子で、R氏と、直に逢ってお話ししたい、とのことになりました。
そして…… 執筆者本人として、僕も同席することになりました。
誰が?
僕が同席?
まさか、僕が?
ただの底辺会社員に過ぎない僕が?
田中さんと逢う?
感想が一言も書けません。
なぜなら、本当に頭が真っ白になり、何も考えられなかったからです。
11月3日(土)、神奈川近代文学館にて、寺山氏製作による映画の上映会の後、田中さん他お2人によるトークショー、田中さんのサイン会があり、その後にインタビューの機会を設けていただくこととなりました。
「Wikipediaブンガク」では、僕の書いた記事の他、寺山修司氏自身の記事も編集されています。複数の方々により寺山氏の作品『毛皮のマリー』も新規に立項されています。
本来ですと、その編集に携わった皆さんが、お話に加わるべきでしょう。
しかし、冒頭のR氏のブログにあるように、田中さんご自身のご負担を最優先すべき。そして、実際どんな形のインタビューになるか、開催してみるまでわからない……など諸々の理由により、出席者は最小限となりました。主催者TGさん、講師R氏、立会人として文芸評論家・編集者のN氏(僕は初対面、実はこちらで既に触れている方)。そして田中さんの記事執筆の張本人として、僕。計4人です。
そのような事情で…… 「自分も参加したかった!」とお思いの皆様、全力で、申し訳ありませんでした。
さて、ここからは準備に大忙しです。
何度も書いたように、ただでさえ本業は超多忙。その合間を縫って何度も図書館に通い、コピーをとりました。
田中さんが寺山氏との日々を著した『寺山修司と生きて』を自腹で買い、通勤電車の中で何度も何度も繰り返し読みました。
自分の書いたウィキペディアの田中さんの記事や、それに使った出典を全部印刷。そうした資料のまとめは、いつもは百均の安物のリングファイルを使うけれど、あまりにみっともないので、ヨドバシで少しマシなものを購入。
鞄は、通勤鞄は布製、しかも破れかけたものなので(つくづく身嗜みには無頓着)、これはあんまりと思い、少しでも見栄えの良いものをAmazonで購入。自宅到着は予定前日でした。
約束の日が近づくにつき、自問自答の繰り返しです。
いいのか?
もっとすごい執筆者皆さんがたくさんいるのに、僕如きで本当にいいのか?
そんな思いとは裏腹に、否応なく時間は過ぎてゆきます。
ついに当日、11月3日(土)。
「乗換案内」で入念に電車の時間をチェックし、敢えてその2本前の電車で出発しました。文学館へ行くのは3度目ですが、親の代から方向音痴だからです。
神奈川近代文学館のある「海の見える公園」には、待合せ時間の30分以上前に到着しました。
周囲には観光客と思しき人々、海を見ながら談笑する人々、食事を楽しむ人々。
僕は心の中で叫びました。
「どなたでもいいですから、代わってください! このカンペを棒読みするだけでいいです! お金払ってもいいですから!」
そんな心の声が届くわけもなく、文学館を目指します。
館の10メートル手前で、足が止まりました。
誇張ではありません。本当に歩けなくなりました。
いいのか? いっそ、逃げ出そうか?
何年も前に見た某アニメの台詞が頭をよぎりました。
ものすごく控えめでおとなしい少女が、勇気を出すときの言葉です。
「私に足りなかったものは…… この一歩を踏み出す勇気!」
(ちなみに声優さんは、僕が敬愛する人物の1人、笠原弘子さんです)
いつものように胸に下げている、亡き父の形見の指輪のペンダントに手を触れました。
母が「それをいつも身に付けていれば、きっと父さんが、いつもあなたを守ってくれるよ」と言って、くれたものです。
父は僕と正反対、酒と煙草と女が大好き。仕事柄、人との会話などお手の物でした。
「父さん、力を貸して……」と心の中で言いかけましたが、やめました。
「父さんの力はいりません。見守ってくれるだけでいいです。僕の力だけで歩きます」
振るえる足に力を入れ、文学館に到着しました。
しばし後にTGさんが到着。見知った顔に、ようやく心が和みました。
R氏も到着。N氏に紹介され、名刺交換です。
R氏はこうしたイベントでご活躍のお方、N氏もさすがプロ、皆さんの冗談めかしたお話で、心が和んでゆきます。
映画上映会が始まりました。
第1弾、田中さん製作よる映画『質問』。
田中さんのご著書『質問』は、全365の質問文だけで構成された書です。
ナレーションで、この書のいくつかの質問が読み上げられ、寺山氏自身が答えていくという、実験的な短編映画が、映画『質問』です。
ナレーション「○○○○したことは、ありますか?」
寺山氏「うん、それはね、□□□□なんだよね」
時には深い答だったり。時には笑いを誘う答だったり。
僕も観客皆さんと共に笑いました。
第2弾、寺山さん製作による『草迷宮』。
難解なので、日本での公開に至らなかったそうです。
……ごめんなさい。凡人の僕には、難しかったです。
トークショーが始まりました。
田中さんご本人が登場!
これからインタビューする相手を初めて拝見し、緊張は最高潮でしたが、トーク内容がとても興味深く、時には心から大笑いする内容に、だいぶ緊張は解けてきました。
トークの終盤、司会者の方が
「お客様皆様の中で、何か質問はありませんか?」
即座に若いお客さんの1人が、大声を張り上げました。
「何々は云々なんですか?」(←内容忘れ)
こんな大衆の場ですごい勇気……
あなたのようなお方こそ、僕と代ってほしい。本気でそう思いました。
トークを終え、ロビーにて、田中さんのサイン会。
僕たちはすぐそばで待機です。
うわ、すごいお客さんの数!! こんなに大人気だったんだ……!
15時半過ぎ頃でしたでしょうか、サイン会が終わり、いよいよ僕たちのインタビューです。
案内の男性に連れられつつ、移動。
へぇ、こんな秘密通路みたいな場所があったんだ……
あっ、目の前に「関係者以外立入禁止」の札。こちらではないのですね。
えぇと、どちらへ行ったら?
「こちらへどうぞ」
僕は一般人なのですが、立入禁止の向こうへ行って良いのでしょうか……?
到着した場所は広いロビー。大きなテーブル。
ふかふかのソファ。座ってみたら、尻が床にぶつかりそう。
リラックスしてお話ができそうです。
「場所はこちらになります」
お話の場所がこのソファかと思いきや、指されたのは、そばのドアでした。
世の中にこんなでかいドアがあったのですね。
その名も神奈川近代文学館、特別会議室です。
「ここは皇室の皆様も使われた場所で……」
余計なプレッシャーをかけるな──!
ついに、田中さんが登場。解けたはずの緊張が超急ピッチで最高点に達します。
インタビューが始まります。
ドアが開き、入っていいのか? 入っていいのか?
迷いつつ…… 入室。
R氏による紹介のもと、田中さんを始め、ご同行のお2方と名刺交換。
もちろん、田中さんご本人とも名刺を交換します。
僕「田中さんの記事を執筆させていただきました。ウィキペディアでは『逃亡者』と名乗っておりますが、本名は『山田』と申します。駄文で申し訳ありません」
(※ 最近作ったウィキペディア用名刺には、『逃亡者』の名と共に本名を併記しています)
田中さん「あら、良かった。山田さんね。『逃亡者さん』なんて呼べないもの」
また言われた……(^^;
以後、田中さんからの僕の呼び名は「山田さん」でした。
皆でテーブルにつきます。
僕はテーブルの端っこにちょこんと同席で十分と思ったのですが。
田中さんの真正面が僕……(^^;
ここからのインタビューが肝心なところですが、内容はウェブマガジンの記事に載るかもしれませんので、「ネタバレ禁止」ということで、伏せます。申し訳ありません……
とにもかくにも、全体はR氏が進行してくださり、僕が言葉に詰まるところを、R氏が素早くフォローしてくださったおかげで、無事に事が進みました。
田中さんはまだまだ話し足らないご様子でしたが、17時半過ぎにインタビューは終了。
最近流行の「働き方改革」で、文学館も土曜日は残業禁止のため、とのオチでした。
喋りはヘタ。初対面の人との出逢いは大の苦手。あがり症。
そんな性格、この歳になれば治しようがありません。
ですので、このインタビューにあたり、個人的な目標を立てました。
「終わったとき、心から『楽しかった』と言えるように」。
インタビューが終わり、文学館を出て、思わず口に出ました。
「楽しかった──!!」
後は4人で反省会と称し、居酒屋になだれ込み。
酒の席でも、話は尽きることはありませんでした。
帰途の電車では、N氏と隣同士でした。
氏はさすがプロ。弁舌、博識。聞き役に徹してしまい申し訳ありません。
もっともっとお話をお伺いしたかったですが、横浜駅で皆とお別れとなりました。
あれから約1週間、まだ興奮は覚めません。
平日にはとてもブログにまとめきれませんでした。
田中さんは、僕たちを信じてくださった。
その信頼は、とてつもなく重い……
だけど、なぜだろう。
その重さが、苦痛に感じられない。
田中さんの信頼に応えたい。
応えよう。
書こう。
書き続けよう。
これからも、きっとたくさん迷う。
迷ったら、あの日のことを思い出そう。
書き続ける気持ちを奮い立たたせてくれた、あの日のことを。
僕に足りなかったものは、この一歩を踏み出す勇気。